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2011年11月26日 (土)

名将 悲運    No215

本日のタイトルは「名将」 である

 

 小生 沿線に住んでいると言う 単純な理由ではあるが

近鉄バッファローズファンであった。

そう過去形である。小生は近鉄バッファーローズが身売り

してからプロ野球ファンを辞めた。

 

 子供の頃 マウンドは鈴木啓示のものであった。

山田 東尾 高橋直樹 といたが 300勝は彼だけである。

また 被本塁打560本は世界記録だ。

 学生の頃 マウンドは井本隆であった。1979 1980の2年

連続15勝はかみそりシュートのなせる業であった。

 そしてその年4番は 赤鬼マニエルであった。八木沢から

受けた死球 その後復帰した際のヘルメット 忘れられない

思い出である。

 小生 最高の試合は 1980年10月11日地元藤井寺球場

で後期優勝を決めた試合は(確かマニエルが逆転3ランを

打った)忘れられない。

 それらの年 近鉄バッファーローズの監督は「名将」

西本幸雄であった。

Karutanishimoto

 名将にふさわしく 又悲運であった。

 

 小生の心の中で「名将」は彼だけである。

 

有名な 江夏の21球は その前年1979年 大阪球場の

出来事だ。

 メイクドラマ は本来彼のためにある言葉かもしれない。

その数年 彼はバッファローズファンの心を釘付けにして

いたのだ。

 有名な10.19はそれから8年後だ。ある意味彼の後継者

亡き 仰木彬が主役であった。

 そして昨日 その西本が逝った。

 寂しい!!。

本当の意味で近鉄バッファローズが今 無くなった様な気

がする。

 ご冥福をお祈りします。                合掌。

 

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